日本周辺の国々から聞こえてくる雑音、はたまた日本国内から聞こえてくる異音、そんなものについてです。
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【拡散希望】 -慰安婦像撤去- ホワイトハウスへのネット署名
米国内に設置された慰安婦像について、撤去を求めるネット署名が開始されました。

発起人はかのテキサス親父w(知らない人は「テキサス親父」で検索)

ホワイトハウスへの請願活動なのですべて英語の画面なのですが、署名解説動画まで作られてますから、それを見ながらやれば簡単に署名できます。もちろん日本在住の日本人でも署名OKですので、慰安婦像を苦々しく思っている方はぜひ一筆ご署名ください。(※100,000筆の署名が必要です。)私が署名した段階では、35018まで伸びていました。

以下、関連リンクなど張っておきます。


米「テキサス親父」請願サイトで呼びかけ 「慰安婦像撤去へ署名を」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131217-00000082-san-n_ame


ホワイトハウスへ初めて署名される方への解説です。
http://staff.texas-daddy.com/?eid=454

署名解説動画
http://www.youtube.com/watch?v=dw6PZomeFaE



■■■ どうか署名をお願い致します m(_ _)m ■■■

★カルフォルニア(グレンデール市)の慰安婦像を撤去しよう
http://wh.gov/l0PQT
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テーマ:歴史捏造「従軍慰安婦」 - ジャンル:政治・経済

先人を偲ぶ  -佐久間艇長の遺書-

日本帝国海軍潜水艇開発草創期の、軍オタの間では有名な話をご紹介します。

明治43(1910)年4月15日
国産第1号の潜水艇を使用した訓練中に事故が発生し、翌16日に潜水艇は回収されましたが、艇長はじめ全乗組員はすでに亡くなっていました。
そのお話が「国際派日本人養成講座」に掲載されましたので、引用させていただきます。


引用ここから-------------------


No.820 国史百景(6) 佐久間艇長の遺書

 乗組員全員が最期まで持ち場を離れずに職務を果たそうとしたこの事件は、欧米でも大きく報道された。

■転送歓迎■ H25.10.20 ■ 43,653 Copies ■ 3,754,564 Views■


■1.持ち場を離れなかった第6潜水艇の乗組員たち

 沈没した第6潜水艇が発見されたのは明治43(1910)年4月16日午後3時38分、広島湾の沖合約2千メートル、水深約15メートルの海底だった。艇首を上げ、艇尾は泥の中だった。前日朝に出発してから、一日半が経っていた。

 引き揚げ作業は困難を極めた。2機の起重機で吊り下げたまま浅瀬に運び、翌17日明け方から、艇内の海水と漏洩ガソリンをポンプで排出し、換気の後、ようやく艇内に入ることができた。

 乗員はそれぞれの持ち場で倒れていた。佐久間艇長は司令塔の真下で、仰向けになっていた。艇首の魚雷発射管左右には、前後の扉を閉じて海水の浸入を止めようとしたのか、欲山一等兵曹と、遠藤一等水兵が倒れていた。

 原山機関中尉は、海水と電池の電液の混合による有毒ガスの発生を懸念したのだろう、二次電池の前で事切れていた。吉原一等水兵、河野三等機関水兵、堤二等兵曹、山本二等機関兵曹は手動ポンプの付近に集まって倒れていて、交代でのポンプ排水中に絶命したのだった。

 その他の乗員を含め14名全員がそれぞれの持ち場で、息絶えるまでなんとか潜水艇を浮上させようと努めていたのである


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テーマ:みんなに知ってもらいたい - ジャンル:日記

【保守必聴!】 韓国併合の歌・韓国人慰安婦の歌
最近1日1回、必ず聴いている歌があります。

YouTubeで公開されているものなんですが、歌い手さんも美人だし、歌詞も納得、メロディーも耳に残ります。
保守系の方には是非視聴をお勧めします。

[Annexation Song] 韓国併合の歌

http://youtu.be/yUelX8kBThk



同じ方でもう1曲

[Comfort Women Song] 韓国人慰安婦の歌

http://youtu.be/5q-8FC1fjoA


先日公開された、外務省の竹島動画と一緒に配信してもらいたいぐらいですね w

テーマ:韓国について - ジャンル:政治・経済

朝日新聞記事 日米琉40年 [上] を読んで
久々の更新です。

今、我が家では「朝日新聞」を購読しています。もちろん私の好みではありません。新聞はうちの女房がおまけ目当てに、読売と朝日を3カ月ごとに切り替えて購読しているということです。

さて、今日仕事から帰って遅い夕食をとりながら朝日新聞に目を通そうとすると、一面に「日米琉40年」という記事があるのが目に留まりました。というのは、「沖縄人は豚ですか?」という刺激的な小見出しがあり、その上には、横断歩道を渡る人々を背景にした女の人の写真が掲載されていました。

記事は一面だけでなく三面にも続いていたのですが、その中にこんな文章がありました。


「腐れナイチャー(本土出身者)。二度と沖縄に来るな」。茨城県の高校教師の女性(49)のブログに、5年ほど前から中傷コメントが書き込まれるようになった。
 沖縄での旅行や食べ歩きをつづっただけなのに、「沖縄の何がわかるか」「本土出身者が沖縄を駄目にしている」と止まらない。怖くなり、沖縄に足が向かなくなった。
 沖縄県内の大学で講師を務める男性が今年、学生たちにリポートを出させた。テーマは「沖縄の将来」。授業では一言も触れていないのに、約20人の全員が将来像の一つとして「日本からの独立」に触れた。男性は「以前は考えられなかったことだ」と驚いた。



これだけ読むと、沖縄の人たちはここまで本土の人たちを憎んだり、独立を希望するぐらい日本という国から心が離れてしまったのか、そのぐらい本土人は沖縄の人たちにひどいことをしてきたのか、と思うところです。

でも、ここは眉唾で、これってアカヒ新聞の本土・沖縄離間工作なんじゃないのかと、私はそう考えています。
よく、基地問題をことさら騒ぎ立てているのは本土から来た活動家ばかりで、地元の人はそんなに参加していないと話に聞きます。まぁ、これも噂なので実際はどうかなのか、沖縄人の友人がいない私にはよくわかりません。

あと、この記事の中で「軍用地料や米軍人らの消費など、いわゆる基地経済への依存度は(復帰後からこの40年で)15%から5%に減った」という一文がありましたが、これもどうやら数字のマジックのようです。

このサイトで確認してみると、どうやら金額は増えていて、観光収入が増えた分、相対的にパーセンテージが落ちただけというのが真相。


「軍事関係受取」は、復帰時の1972年に総額780億円で、県民総所得にしめる割合(基地依存度)は15.6%を占めています。
復帰後も軍関係受取は増え続け、
1975年には、1,000億円を越え、
1991年には、1,500億円を突破、
1995年には、1,736億円、
2001年には、1,901億円と、復帰時の2倍強まで増えています。

一方で、観光収入の増加もあり、県経済の相対的な基地依存度は、
1985年には、10.2%
1995年には、4.9%
2001年には、5.1% と若干上昇したものの、
現在まで約5%前後で推移しています。




しかも、軍用地料は不況に強いという特徴があるそうで、復帰後は軍用地との再契約を拒否する「反対地主」が減少して、契約に応じる「軍用地主」の増加につながっているのが現状だそうな。

本当に沖縄の人が嫌がっているのなら、地主さんは「反対地主」になるんじゃないのかと思うんですが、どうなんでしょうね、アカヒ新聞さん?

テーマ:マスコミ - ジャンル:政治・経済

国柄は非常の時に現れる(上)~ それぞれの「奉公」

大震災があってから、全然更新をしていませんでした。
私の住む県も被災県で、海岸沿いの地域が津波の被害をかなり受けています。
私が住んでいる家もぐし瓦が落ちたりして、現在はブルーシートで応急処理状態だったりいたします。

震災から2ヶ月ちょっと経過し、被災地のニュースもあまり流れなくなりましたが、復旧のために身を粉にして働いている方々はまだまだ当然いらっしゃいます。
今回はそんな方達の活躍を、私が読んでいるメルマガからの転載でご紹介します。



■■ Japan On the Globe(699) ■■ 国際派日本人養成講座 ■■

国柄探訪: 国柄は非常の時に現れる(上)~ それぞれの「奉公」

 自衛隊員、消防隊員は言うに及ばず、スーパーのおばさんから宅配便のおにいさんまで、それぞれの場で立派な「奉公」をしている。

■転送歓迎■ H23.05.22 ■ 38,460 Copies ■ 3,416,928Views■
無料購読申込・取消: http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/
携帯向けブログ → http://japan-on-the-globe.at.webry.info/



■1.「家がこんな状態なのに行くんですか」

 宮城県の沿岸の都市で、ある酒屋が今回の大地震と津波で壊滅的な打撃を受けた。若者と母親が店内の片付けをしていると、制服の自衛官が来て、1枚の紙を示した。「召集令状」である。

 若者は元自衛官であり、万が一の時に招集に応ずる即応予備自衛官であった。若者は令状を示す自衛官に直立して「了解しました」と答えた。

 横からテレビのレポーターが「家がこんな状態なのに行くんですか」と聞くと、「そのために何年も訓練してきたんです。いま行かなければ、10年、20年と後悔しますから」 そばにいた母親も「人のためだから、行きなさい。うちのことは何とかするから」と声をかけた。[1]

 元自衛官で、万が一の際、自衛隊に復帰して現役並みの活動を期待されているのが、即応予備自衛官である。現在、約5600人いるなかで、今回の震災では4月中旬時点で、1300人が招集されていた。

 教育勅語に、理想の国民像として「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」(もし危急の事態が生じたら、義心と勇気を持って、公のために奉仕し)との一節があるが、まさにそれを絵に描いたような一場面である。



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テーマ:東北地方太平洋沖地震 - ジャンル:ニュース

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