日本周辺の国々から聞こえてくる雑音、はたまた日本国内から聞こえてくる異音、そんなものについてです。
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台湾人と日本精神 (1)
以前から読みたいと思ってはいたのですが、地元の本屋では手に入らずそのままにしてしまっていた

「台湾人と日本精神」  蔡焜燦 著 (小学館文庫)
 
先日のNHKの偏向報道の件もあり、アマゾンを使って他の本も含め購入して読み始めました。
その中の一節をご紹介します。

※この本の筆者は、文豪・司馬遼太郎氏が「街道をゆく・台湾紀行」を書くための取材に訪れた時の現地の案内人ですが、日本統治時代を経験し、陸軍航空整備学校奈良教育隊で終戦を迎えた方です。


『台湾人と日本精神』  蔡焜燦 著 (小学館文庫)P.36~37より抜粋

会食の席にあっても司馬先生の脳細胞は、視界のすべてを思索してやまなかった。
 あるとき、美味しいものが食べたいとの要望に、私は珍しいヘチマ料理を用意した。お供の新聞記者が「これ何ですか」と訊いた。当初、司馬先生も「食材」へと変化を遂げたヘチマがなんだかわからなかったようだ。
「これ、じつはヘチマです」と紹介するや、同席した人たちは口々に化粧水、垢こすりと結び付けた。
「いえいえ、ヘチマは薬にもなりますよ。熱さましです」と私がその効用を披露すると、文豪・司馬遼太郎は箸を止めて立ち上がり、正岡子規の俳句を詠みはじめる。
「痰一斗……」と上の句が出たところで私が唱和した。
「……ヘチマの水も間に合わず」
続けて一句。
「ヘチマ咲いて……」
「……痰のつまりし仏かな」
そして最後に、正岡子規のヘチマに関する三つ目の俳句で結ぶ。
「おとといの……」
「……ヘチマの水も取らざりき」
 お供の記者たちは驚きの表情を隠さなかったが、司馬先生は我々台湾の”日本語族”が単なる知日家や親日家ではなく、かつて同じ歴史を共有した”国民”であることをよく理解していたようだった。



この司馬氏の作品 「街道をゆく」シリーズは週刊朝日に連載されたものですから、ここでの記者とはおそらく週刊朝日から派遣された記者と推測されます。
果たしてそれらの記者の中で、この著者のように正岡子規の俳句を諳んじることができる人がいたのでしょうか? 甚だ疑問です。 また、このシーンだけ切り取っても、日本統治下の台湾の教育水準の高さなどをうかがうことができると思います。

まだ読み切っていないこの本を読み進むにつけ、腹が立ってくるのは先日の偏向報道疑惑のNHKの番組やその内容をことさら肯定し日本批判をする連中です。
さるブログでは台湾総督府民政長官として赴任した後藤新平について、『後藤新平は「ヒラメの目をタイの目に変えることはできない」と語ったという。台湾人は決して日本人になれないという意味だろう。後藤にとって日本人は「タイ」だが台湾人は「ヒラメ」だった。事実、日本帝国主義は台湾人を人間扱いしていなかった。』として解釈しています。

勘違いも甚だしい。いや、わざと間違えた解釈をすることにより日本を貶めようとしているのかもしれません。でなければ、自分の偏狭な先入観でしか物事をとらえることのできない可哀相な人なのでしょう。ちょっとでもインターネットを調べればわかることですが、この後藤新平の語った「ヒラメの目をタイの目に変えることはできない」とは、後藤自らが「生物学の原則」に則ったものであると説明しています。すなわち『社会の習慣や制度は生物と同様で相応の理由と必要性から発生したものであり、無理に変更すれば当然大きな反発を招く。よって現地を知悉し、状況に合わせた施政をおこなっていくべきである』というものであったのです。日本人をタイ、台湾人をヒラメに例えた差別容認の比喩では断じてないのです。このことは、上記の「台湾人と日本精神」(小学館文庫 P.58~59) にも、アヘン漸減政策を例に述べられています。

その他、まだまだ言いたいことはあるのですが、おいおい書いていくことにしたいと思います。

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