日本周辺の国々から聞こえてくる雑音、はたまた日本国内から聞こえてくる異音、そんなものについてです。
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山のジプシー 『高砂族』(記事おこし)
先日UPした雑誌のページですが、旧字を使って文章だったり、画像が汚くて読みづらかったりとあると思いましたので、一部記事をテキストに起こしてみました。
(旧仮名遣いを現代仮名へ、判別できなかった文字は●、( )部分は私が書き足し)

これを読むと、日本が高砂族の方々の生活向上に腐心していたのがよくわかります。


  山のジプシー 『高砂族』
    血しぶく台湾暴動の真相 より一部抜粋
       日本週報 第140号(昭和25年2月1日発行)

 台湾第二の高峰次高山の麓、深●といふ高砂族の部落に私は生れた。そして私の生まれた頃には、すでに台湾には日本の統治がほとんどすみずみまで浸透しつつあった。しかし精悍な蛮族として、峨々(がが)たる山地地帯を家とし、そこを転々と渡り歩く原始的な生活に慣れた高砂族は、文化的な生活には容易に同化しようとはしなかった。
 水田というものを持たない『山の民』にとっては、芋、粟、玉蜀黍(とうもろこし)が唯一で最上の食糧であった。急勾配の山地を勝手に開墾してこれらの種子を植えると、肥料は別に施さなくても、開墾のとき焼き払った灰が自然の肥料となって収穫は結構あった。しかし雨が降ると急勾配の畑は、肥料分がすっかり流されてしまい、二年もたつと、もうそこには作物はできない。だから、こんどはまた他に開墾地を求めて移動してゆかなければならなかった。
 こうして山から山からへ、転々と渡り歩いてゆく山のジプシーの生活は、確かに原始そのままの姿で野蛮だが、一面、自由で気楽な生活でもあった。しかし高砂族が、海岸地や平地に住んでいる広東、福建族系のずる賢い台湾人達の次に最も嫌いそして恐れていたものに病魔があった。マラリヤやその他の病気にとりつかれたら、只ただその運命を種族の神の手に委(ゆだ)ねて、願をかけ、まじないをやって平癒を祈る以外に手当ての方法がなかった。だから病気のうち十中の八、九までは治らずに死んでいった。
 ところが、この野蛮で無知な山の民にも、明るい文化の恩典を浴させようと苦心する日本政府の親心は、かたくなな蛮族の心を次第にゆるめていった。山の奥深くの部落にも指導者が、たまには珍しい土産物さえ持ってやってくるようになった。そして高砂族のための学校や医療設備や巡査派出所などの文化施設が、つぎつぎに設けられていった。もはや高砂族は病気を悪霊のたたりのように怖れる必要はなかった。政府から派遣されて駐在している医者にかかりさえすれば、薬代はもちろん治療代までも無料で全快までみてくれた。そればかりか山岳地帯から、暮らしやすい平地へ集団移住の便をさえ●ってくれた。
 山からそこへ移って行ってみると、生活の安定を保証するだけの水田が一家族毎に割り当てられたほか、学校も医療設備もちゃんとできていた。『山の民』から『平地の民』へ、こうして私の一家も、次高山麓の奥地から『新竹』に移り住むようになったのだった。そして物心がつき始めてから私は、日本文化の光に浴し、教育所といわれた学校で日本人としての教育を一通りは受けて来た。
 高砂族は、いまおおよそ十五万人近くもいようか……。だが、そのうち壮年層以下の大半は、皆私と同じように日本の教育を受けて成人しているのである。
かつての蛮族も、こうして完全に日本に同化し、しだいに文化的な民族としてのほこりを、その身につけつつあった。ところが昭和二十年八月、あの運命的な敗戦を迎えて、われわれ高砂族は、否応なく日本人としての籍を引きはがされてしまったのだ。



反日・左翼的なところからは、「悪質な移民政策だ」とか「ジプシーだって?」などという言葉が返ってきそうですが、そういう人たちにはこう言っておきましょう。「木を見て森を見ず」
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